犬のしつけが辛い、もう疲れた・・・。

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「犬のしつけ方がよくわからない・・・」

「頑張っても伝わらない・・・」

「辛い、もう疲れた・・・」

これ、過去の私です。

ずっと犬と暮らしたいを思っていて、やっと願いが叶って犬と暮らし始めたのに辛くて苦しかったんです。

当時の私は、世間一般のいい犬と目の前の愛犬とのギャップに「ちゃんとしつけなきゃ!」と変なプレッシャーを感じてしまっていたんです。

理想とはあまりにかけ離れた愛犬の姿を毎日見ていたら、だんだんと愛犬にもできない自分にも疲れてしまっていました。

けど、犬と暮らしているのにこんな状況もったいないですよね?

今回は、育犬本が全く通用しなかった愛犬と自信喪失した飼い主がどのようにして「自分たちにあった生活」で満たされるようになったかを書いていきたいと思います。

ネットも育犬本も万能ではない

犬を初めて迎え入れたとき、しつけの仕方などについてネットで調べたり育犬本を買って勉強したりする方も多いと思います。

私もそうでした。

けれど、我が家の場合は全くと言っていいほど通用しませんでした。

本通りに進めているのに、写真と同じようには進まないのです。

でも、これは当たり前だと思います。

なぜなら、本のモデルと愛犬は全く違う犬。

本のモデルはすでに完成されたいわばエリートのようなもの、対して愛犬はペットショップから出てきたばかりの、人間が何を言っているのか「はぁ?」状態の犬。

そして、人間に性格や個性があるように、犬にも性格や個性があります。

だから、ネットや育犬本のとおりしつけをしようとしても、必ずしもその通りに進むわけでもないと思います。

「へぇ、こんな方法もあるんだ」と頭の片隅に知識をおいておく程度ならいいと思いますが、「この本の通りにならないといけない!」と思ってしまうと犬も飼い主も辛いだけです。

育犬本が万能ではないと気づいた私は、育犬本を捨てました。

そのしつけや理想は必要?もう一度考えてみる

しつけが辛いと感じるということは、「こうなってほしい」という理想の姿があるのだと思います。

私もそうでした。

私の場合は、社交的でフレンドリー・・・愛嬌たっぷりの、一般的ないい犬を求めていました。

もちろんうるさく吠えることもなく、人を噛むなんてありえない!

実際は、真逆でした。

私は長い間このギャップに苦しんだのですが、だんだんと「本当にそんな犬にする必要があるのか?」と考えるようになりました。

例えば何らかのショーやコンテストに出るというのであれば、完璧な犬でなければいけないかもしれない。

けれど、ペットとして、幸せに暮らすために迎え入れた犬に完璧さは必要ないと思ったのです。

もちろん、他人に迷惑をかけない、危害を加えないことは必要ですが、反対に言えば、人に迷惑をかけず、危害を加えないのであれば、あとは自分たちが心地よく暮らせればそれでいいのではないかと。

だから、理想とする犬の姿が、自分たちに本当に必要かを改めて考えてみてください。

意外と、その不完全さが個性としてかわいく面白く思えてきたりします。

叱る?褒める?結局どうしつけるのがいい?

しつけというと「厳しい」イメージが浮かんできます。

以前は「ちゃんとした犬に育てなきゃ!」と思うあまり厳しく接してしまっていた私ですが、今は「叱るときは短く」「褒めるときは大げさに」「褒めること多めに」を心がけています。

叱るときは、怒った顔と雰囲気で「ダメ!」と短く叱り、あとは飼い主も感情をひきずらない。

本当は怒ってないんだけど、状況的に叱らないといけないときも、表情と雰囲気で「怒ってますよ!」と醸し出して「ダメ!」と言った方がいいです。

(クッション破壊しようとしているとか、こっちは何もしていないのに一方的にちょっかい出されて犬や人に唸ったりしてしまったとか)

うちの犬だけじゃないと思うんですが、犬は数秒後には怒られたことなんて忘れてますから、飼い主がイライラし続けることは無意味どころか飼い主のストレスになるだけなのですぐに忘れたほうが楽です。

そして、些細なことでも「褒める」「大げさに褒める」。

私はどちらかというと褒めるほうを重視しています。

「トイレがちゃんとできた」とか「おいでって言ったら来た」とか、ずっとできていることも見つけて褒めるようにする。

苦手なことやできなかったことができたときは、「いい子だね、すごいね!えらいね~」と声をかけて、ワッシャワシャになでて、言葉でも表情でも態度でも雰囲気でも伝えるようにしています。

人間もそうですが、犬も叱られるより褒められる方がうれしいと思います。

ちゃんと叱ったほうがいいと思うこと

叱ることより褒めることに重点を置いている私ですが、ちゃんと叱ったほうがいいと思うことがあります。

それは、

  • 本人の命にかかわること
  • 人や犬に迷惑をかけること
  • 人や犬に危害を加えること

の3つです。

本人の命にかかわることとは、拾い食いや食べてはいけないものを食べようとしている時などです。

人に迷惑をかけることとは、何もされていないのに人や犬に吠えたり飛びかかろうとした時などです。今はほとんどありませんが、散歩トレーニングをしていた時はありました。

反対に、こちらが何もしていないのに、一方的にちょっかいを出されて唸ったり吠えたりした時は叱るというより、静かに冷静に「ダメよ」と言って終わりです。

犬も感情を持った生き物なので、嫌なことをされてもされるがままにしていろというのは無理な話だと思うのです。

人に危害を加えることというのは、噛むことですよね。

不幸中の幸い、うちの犬は飼い主しか噛みません。

威嚇にしてもパニックなど恐怖心にしても飼い主しか噛みません。

だからといって、飼い主を噛んでいい理由にはならないので噛まれたときは叱ります。

しつけは一生続く・・・気楽に

人間と犬が一緒に暮らしていくには、最低限のルールを犬に覚えてもらわなければいけなくて、そのためにしつけが必要になってきます。

「1回でビシッと覚えます」というスゴイ犬ならいいのですが、うちの愛犬はそうではありません。

繰り返し繰り返し伝え続けてできるようになったこともあるし、いまだにできないこともあります。

けれど、人や犬に迷惑や危害を加えることがなければ、できないことがあったところで大した問題ではないと思うのです。

よく「序列を教え込む」とか「〇〇のしつけをベースとして✕✕のしつけにつながる」とか関連性を示されることがあるのですが、必ずしもそうではないと思っています。

うちの愛犬を見ていると、犬も頭で「これは言うこと聞いておいてほうがいいな」「え、それメリットないじゃん」と考えて、人間の言うことを聞くかどうかを判断しているなと感じることが多いです。

それに、人間と犬は言葉という共通のコミュニケーション言語はもっていない。

今の私からしたら、伝わることの方が不思議です。

だからこそ、伝わったと感じたときは「え、すごいじゃん!!!」とうれしくなる。

本当は、そんなレベルでいいんじゃないかと思うんです。

生活や行動って毎日すこしずつ違いますよね。そのときの状況で「これはよい」「これはだめ」と教えていくしつけはこれからもずっと続きます。

犬と一緒に幸せに暮らすために迎えたのに、暮らすためのルールを伝えるしつけが原因で「まったく楽しくないし、幸せじゃない!」なんてもったいないです。

辛いくらいなら、辛くならない程度に力を抜いて気楽に取り組むくらいでいいと思います。